第1章 パラベラムとは?

絢爛たる奴隷生活の平穏無事な軛よりも、苦難にみちた自由をこそ選ぼうではないか!(ミルトン「失楽園」)

女性護身術で人生を変えよう

あなたがこのページを開いたということは、おそらく、暴力にどう反応し、対処したらいいかを知りたいからだと思います。女性護身術を身につけることによって、あなたの精神や感情、身体が守られ、言葉遣い一つで得られる安全も身につきます。ここに記載するのは、自分を今以上に強く感じ、自信が持て、日常生活の中で起こりうる危険から自分を守るのに役立つ、様々な助言です。

ご安心下さい、このページを読み終えて、危険ばかりを意識するようにはなりません。逆に自分で自分を守れると言う意識が自立心と自尊感情を強め、不安感を少なくしてくれます。しかし、護身術を文章で読むだけでは、実際に襲われた時の感覚を理解するのは難しいです。実際に訓練に参加して、仲間と冗談を言いながら、相談したりする方が確実に身につくのは間違い有りません。このページを読んだからと言って、全ての状況に対処できるようになるとも思わないで下さい。固定観念を打破し、新しい習慣を身に付けるための様々な方法を記載しました。

このページには、女性護身術の知識が書かれています。しかし、最終的にはあなたにとって一番使いやすい護身術を実施することが一番効果的です。私のアドバイスを自分流にアレンジするもよし、アドバイスを無視するのもあなたの自由です。本文では攻撃者を男性としています。それは、女性の受ける暴力の大半は男性によるものだからですが、全ての男性が攻撃的であるとは思っていませんし、そうは言いません。男性が性暴力の被害者になることもあります。

本文で言う被害者像はひたすら受け身で、自分の運命を変えようとしない女性ではありません。被害者になるというのは、例えば盲目になるのとは違います。人生のある一時期に被害を受けたからと言って、一生その被害状態でいなければならないわけではありません。被害者が、過去や現在受けている暴力は被害者の責任ではありませんし、被害者は暴力を受けるために生まれてきたのではありません。被害者は暴力から逃れようとする生存者のことです。本文ではまた、防御を成功させるための様々な戦略や武器の提案、逆に使っては危険な武器の説明もしています。実際に命が危険にさらされたとき、自分自身がどんな行動を取るのか想像しにくい物です。危険が迫ったときに女性が取った行動、自分を守りきるために取った行動の全てが結果的には正しいのです。例えそれが、このページに書かれていることと正反対の行動であったとしても、その行動は正しいのです。なぜならあなたは心に恐怖心を抱えたまま暴力を受け続けて生きる以外の価値があるから。

女性は男性と異なる性質の暴力を受けますし、その感覚も異なります。また、恐怖感や不安感は男性と異なる状況に生じ、異なるリスクを生みます。本文では具体例を挙げて確認していきます。護身術とはただ、武道の技を2〜3個覚えるという意味ではありません。自分の価値、自分を守る権利の自覚、その意志の確立、自分の感情をコントロールすること、危険を察知するための直感、身体の接触を避けるための戦略、それら全てを女性護身術で学んでいきます。自分のことと敵のことをよく知る事が性暴力から身を守るためには大切なことなのです。

そもそも女性護身術とは?

インターネットで護身術と検索すると、武道や格闘技のサイトが数多く表示されます。しかし、私が考える護身術はそれらのサイトに出てくる物とは違います。護身術とはけっして武道着をまとわない武道技のことではありません。自分を守るには素手で瓦を割る以外の技や知識が必要なのです。もちろん、瓦割りの技が出来れば、身を守る手段が一つ増えたと言えますが、暴力という具体的な攻撃に対する解決策にはなりません。何年もかけて武道の技を磨いて自信を付けるのは大変有用ですし、健康に良い場合もあるでしょう、しかし、恐ろしいほどのストレス状態に至ったとき、その技は本当に役立つでしょうか?護身術はただの瓦割りの技とは違います。

歴史的に護身術と武道は混同され続けて来ました。殆どの武道がスポーツとして認識される前は、護身術の役割をなしていました。いくつかの武道が1970年代にヨーロッパや北米で護身術の基礎となったものの、殆どが伝統的な階級制度の中で開発されたため、女性が男性と同等の立場に立って護身術を習うのが難しい環境でした。それは女性が技や能力の面で劣るからではなく、当たり前の権利を得るために常に戦わなければならなかったためです。実際に私自身もこの耳で武道の先生がとがめられることなく、男尊女卑的な発言をしているのを何度も聞いています。男性中心の道場では、女性が弱すぎる、あるいは自分が負けたら体面が保てないなどの理由により、男性が女性と練習することを拒否するところもあります。

女性が男性とは異なる理由で暴力に対抗しようとして練習に来ていることを理解出来ないインストラクターに護身術を教える事は出来ません。あくまでも「簡単な武道」しか教えられません。では女性護身術とは何か?それは女性の人生を安全にするための全ての手段です。身体を使って自分を守るには精神的な準備が出来ていないと行けません。従って本文では身体だけではなく精神、感情、言葉の護身術についての説明をしていきます。

女性護身術で得られるもの

  • 自分に自信が持てるようになる。自分を守る権利がありその価値があることを認識できる。
  • 危険な状況を察知できるようになり状況判断をして行動できるようになる。
  • 自分が不快と感じたことに対して境界線を引けるようになる。
  • 避けられない攻撃に対してあらゆる手段で身を守る反応を身につける。

女性護身術はあなたの人生の質を改善し、選択肢を広げてくれます。実際に身体を使って身を守る機会がなかったとしても、間接的に人生観を変えてくれます。また、実際に暴力を受けた女性にとっては罪悪感のジレンマを打破し、自信を取り戻す切っ掛けになります。時として自分の愛する人を守るのにも役立ちます。女性護身術は暴力を予防し、暴力が実行されないためにあります。例えば、怒り狂った人を落ち着かせる方法、言葉の暴力を受けそうな状況を回避する、身を守るのが不可能な場合の逃走方法などです。ですから、護身術はアクション・スターが映画で繰り広げるパフォーマンスとは違うのです。暴力を予防するとは女性に、暴力を許さない強い意志を持って貰うことです。また、一度暴力を受けたら、二度受けないというわけではありませんので、精神的な準備をしておく必要があります。

護身術と聞くと殆どの人が、他人から身体的な攻撃を受けたときのための身を守る術と想像しますが、女性護身術では嫌がらせ、身体的暴力、性暴力、境界線の侵犯に対抗する方法を学びます。身体の防衛は重要な要素ではある物の、身体的暴力や性暴力を受ける前にどうすれば暴力を終結できるかを学びます。社会的・文化的な性の有り様について考え、社会の中での男性の役割、女性の役割の観念を見直して、女性の持つキャパシティーを個々にあった方法で開花させることを目的としています。女性護身術は勝ち負けを競うための物ではなく、生き延びて、生還者になるための物です。

海外に渡航する日本人女性

パラベラムでは、最も危険な加害者を想定するため、また海外に渡航する日本人女性の被害を防止するため、欧米での事例やデータを重視しました。

全在留邦人の全体の約38%が北米に、15%が西欧に滞在していて、在留邦人がもっとも多く滞在する、アメリカ合衆国のレイプ発生率はあらゆる指標で世界一高く (バートル・バートル, 2010)、また西欧諸国でも日本よりも強姦事件の認知件が多いため、より危険といえる海外での生活を念頭に置いています。

欧米人に比べて、アジア人の攻撃性が低いことは統計によって証明されていて、アジア系はアメリカの人口の4.2%と僅かですが、逮捕者全体で1.1%、暴力犯罪による逮捕者で1.2%、殺人による逮捕者でも1.2%と、犯罪を犯す割合が、人口比を大きく下回ることがわかっています。 (バートル・バートル, 2010)

また、「女性が抵抗してもがくのはゲームであり、本当に望んでいるのは襲われてレイプされることである」といった誤った信念が、多くの西洋社会では広く受け入れられ、深く浸透していると研究者によって指摘されています。実際にイギリスの強姦犯は日本の強姦犯よりも、身体的暴力の程度が高く、女性を辱める行為(冒涜的な言葉で侮辱するなど)も多いことがわかっています。 (田口ら, 2010)

このように、日本国内で遭遇するよりも、もっと危険な加害者を想定して女性護身術のトレーニングすることで、あなたの抵抗力は、より強くなるでしょう!

社会的・文化的な性の有り様

このサイトでは、女性らしさ、男性らしさ、といった社会的・文化的な性の有り様に触れることが多くなります。そして、女性らしさが、女性を苦しめている例を挙げていくことになります。しかし、注意して欲しいのですが、私は何も、女性らしさ男性らしさや性差を全て否定して放棄せよ!と言っている訳ではありません。実際のところ、女性と男性では相違点よりも類似点の方が多いものです。しかし、私の注目しているのは、その小さな違いなのです。

その男女の小さな違いが作り出す、女性らしさ男性らしさには、良い部分もあります。しかし、長所は短所の裏返し、というように、女性らしさや男性らしさには、それが良いか悪いかは別にして、身を守る上で有利に働いたり不利に働いたりする場面があり、結果として、時に人を犯罪に巻き込む場合があることを理解していただきたいと思っています。

例えば、女性は男性よりも、ずっと他人に対して共感を持ち、他人を思いやる行動を取ることが研究で解っています。マイヤーズ(2012)によると、女性は学齢前の子供や年老いた親の世話をすることにより多くの時間を割き、男性と比較すると、女性は3倍もプレゼントやカードを買い、2〜4倍の手紙を書き、友人や家族に長距離電話をかける回数が10〜20%多いそうです。しかし、こうした他者をいたわる女性の素晴らしい特性に加害者がつけいって、女性を自分の都合の良いように利用したり、女性が他人に共感的に接することに付け入ってセクハラをしたりレイプしたりするのです。

一方、男性は子供の頃から、問題に対して直接的に立ち向かうように育てられる事が多いため、身体的な威嚇を受けた場合にそれを非暴力的に回避すると、自分を「負け犬」だと感じます。女性から見ると馬鹿げていますが、そのために、ちょっとした事で口論になり、それがエスカレートして事件になることが多いのです。実際にアメリカの調査では殺人の26%〜38%が被害者が加害者を挑発したことが原因で発生しています。 (バートル・バートル, 2010)

ですから、女性なら頼みもしないのに親切にしてくる男性を冷たくあしらう、男性なら理不尽な因縁をつけられても自分が謝ってその場を立ち去る、これだけのことで事件に巻き込まれることが少なくなります。

また「男はこうあるべきだ、女はこうあるべきだ」という性的役割による分業観に肯定的な人ほど、異性への性的暴力や精神的暴力に対して寛容な傾向がある、という調査結果があります。これは、男性だけでなく女性にもみられる傾向です。

とにかく、女性らしさ男性らしさや、男女の性差の中には、構造的な弱点が埋め込まれている、という事実を理解していただきたいと思っています。

女性護身術の歴史

戦う女性はいつの時代にも存在しました。ゼノビア、セミラミス、婦好、タマル、カラミティ・ジェーン、リュドミラ・パヴリチェンコ、アン・ベイリー、ブーディカ、ジャンヌ・ダルク、徴姉妹や巴御前、こうした女性たちは戦う事で歴史に名前を残しました。そして、今も戦う女性はいます。女性は男性と同じぐらい残酷になれますが、男性と異なる部分としてあげられるのは生まれ持った社会的・文化的な性の有り様ではなく、社会が作り上げた女性イメージ像による固定観念「女性であるが故の恥じらい」です。

忘れられがちですが、歴史的には女性は常に暴力に対して抵抗をしてきました。武術の中には女性を対象にして始まった物もあります。例えば、日本では侍が持っていた2.53mの長さの長刀を使った長刀道は女性の護身術として存在していました。そして、今日様々なスタイルの女性護身術が開発されています。

初期の女性護身術は女性運動から発足した物です。イギリスでは警官から身を守るために柔術の技を組み合わせる防衛術が開発されましたし、1920年代と1930年代のドイツの女性はファシストの攻撃から身を守る練習をしていました。これは政治的暴力から女性を守るために発足した物です。当時、私的暴力は問題視されていませんでした。1960年代、1970年代の女性運動の高まりにより、私的暴力の問題がクローズアップされるようになりました。性的暴力を受けた女性が議論した結果、攻撃者は他人ではなく、ほとんどの場合顔見知りである事が判明しました。初の性暴力女性シェルターと電話相談は1970年代にヨーロッパと北アメリカに設けられました。

女性運動家達は暴力を受けた女性達をシェルターで受け入れるだけではいけないと判断し、女性が犠牲にならないためにはどうするべきかを論じたところ、武術の技を基本に持つ、女性護身術が生まれました。最初の女性護身術インストラクターには常に危険がつきまといました。なぜなら、当時の社会風習では、女性が抵抗する=死の制裁を意味していたからです。最初のインストラクターたちは科学的データや有効な技の統計を持っておらず、ただ、性暴力被害者としてどのようなディフェンスが有効かを考えて教えていました。

読者の皆さん、政治的立場はさておき、彼女達をたたえましょう!彼女達がいなければ、抵抗こそが暴力に一番有効な防衛策である事を未だに私達は知らないでいたでしょう。女性護身術を肯定する彼女達が当時受けた非難や侮辱は測りしれません。例えば、自分を守ろうとする女性は男性を毛嫌いしている人、あるいはレズビアンである。この反応や思考は、今日もまだある種の男性(日本よりも欧米で、その傾向があります)の中で見受けられる物であり、女性が身を守るのに男性を必要としなくなるのではないか、ボディーガードとして男性が必要無くなったら、他の事で男性を必要としてくれるか?と言う男性の恐怖心から来ています。このタイプの男性はとにかく自分に自信がないのです。男性に女性を守る以外の役割は幾らでもあるのですが…。

別の通説として、抵抗は攻撃者の性的興奮を高めるという固定観念があります。当初女性に対する暴力の動機は必ず性的な物が根源にあったと信じられていました。しかし、私が考えるに、抵抗されて、鼻を折られて、目を突かれて、喉を突かれてまでも性的興奮を覚える男性はごくわずかでしょう。実際に女性が性暴力に対して抵抗をすると、痣、ひっかき傷やもっと大きな怪我をするかもしれませんが、選択肢は二つしかありません。そのまま暴力が終わるのを待つか、最後まで暴力は続くかもしれないけれど、抵抗をして暴力を受けずに済むチャンスをつかむかのいずれかです。

最悪の状態から自分の人生そのものを守る覚悟を持って抵抗しなければなりません。少しだけ抵抗する、なんて言う事は考えられません。完全に抵抗するか、抵抗しないかの何れしかありません。また、一般的にリスクのある行動を取ってはいけない、と女性は言われがちです。女性は本能的に自分を守る事が出来ない、抵抗をすると危険度が増すという観念が今でも根強く残っています。そして暴力を受ける原因を商品カタログのように並べられ、説教されます。着てはいけない洋服、微笑んではいけない、見知らぬ人と話してはいけない、一人で外出や旅行をしてはいけない、夜に出歩くのは危険、公共の交通手段を使わない、公園を歩いてはいけない、地下駐車場は危険、人気のない道は通らないなど。そのうち、呼吸する事もカタログリストに加わるのではないかと心配になってしまいます!

実際には、先に記載されているシチュエーションより、暴力的な同居パートナーや結婚相手と一緒に居る事の方がよっぽど危険度は高いのです。しかし不思議な事に、防犯や安全の専門家と名乗る人達は、独身で要る事がパートナーからの暴力にたいしては、最も安全な状況だとは決して言おうとしません。

また、暴力の原因として、女性の態度に問題があるという男性もいますが、いかなる場合に置いても、暴力という行動の責任は加害者にあるのです。攻撃者は常に女性の服装や態度を暴力の言い訳にします。しかし、宗教的な理由などにより、女性の服装や行動に大きな制約を科す国々がありますが、それらの国々で女性への暴力はなくなりませんでした。このような事例や様々な固定観念が女性の自信喪失を強めてしまいます。人があなたにアドバイスをするとき、それが正しいアドバイスか否かを判断するには、次のように自問してみて下さい。「その人は、私がしてはいけない事を言ったか、それとも、私に出来る事を言ったか」前者であれば、あなたの人生をあなたが決めて行動するのによいアドバイスではないと思って下さい。

[第2章 女性護身術の基本戦略]

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