第4章 精神の護身術

護身術はまず頭の中から始まります。だからといって頭が良くないと身を守れない、と言う意味ではありません。

精神の護身術(精神的護身術)とは、自分に対する態度、人に対する態度、反応の速度や反応の仕方、自分が自分に与えている権利、人に与えている権利、考え方、世界観や物事に対する解釈の仕方、自分が自分に与えている価値観、境界線、それら全てを精神的護身術と言います。女性がノーと言ったとき、精神的護身術が始まります。ノーと思える状態でいる事は他の身を守るためのどの手段よりも遙かに重要なのです。ですから、自分を守るためにはまず、自分を守らなければいけないという意志が重要です。

精神の護身術の妨げになるもの

例えば、見知らぬ人にあなたは苛立ちを感じています。誰でも経験したことがあることでしょう。地下鉄に乗ろうとして自分の前に突然割り込んできた男性や、感じの悪い販売員、目の前で自分の車のタイヤに犬におしっこをさせた飼い主など、その時あなたはどうしましたか?まあいいや、大した事ではない、相手もわざとやったわけではない、きっとストレス気味だったんだろう、悩み事があるのだろう、と思いましたか?注意する必要も無いし、面倒事が嫌だ、反撃されたら嫌だ、と思いましたか?自分が相手を指摘したら、周りが自分の事をどう思うか気になりますか?悪く思われるのが嫌ですか?一日中そのことが頭から離れずいらいらしますか?何時間も経ってから、ああ言えば良かった、こう言えば良かったと思いますか?やっぱり注意すれば良かったと結局思ってしまいますか?これらの質問への答えが一つでもイエスだったら、自分の精神的護身術を鍛える事を考えた方がよいと思います。

いつ何時でも境界線を引いて下さい、と言う意味ではありません。相手を正さないと、その行為は一般的に普通となったり、その行動に言い訳を探したり、自分の無反応に理由付けをしてしまいます。よろしいですか、仕方がないではなく、キーワードは選択なのです。相手にどう思われるかではなく、あなたがどう感じ、どうしたいかが重要なのです。

社会的・文化的な性の有り様と護身術

社会的・文化的な性の有り様がどれぐらい私達を弱くしているかを確認する前に、一つ質問をさせて下さい。何故男性も女性も社会一般で言われている、女性らしさ、男性らしさに同調するのか?狭い枠にはめられてしまったこのステレオタイプを打破すればそれぞれの可能性もかなり広がるにも関わらず、同調してしまう。社会に同調してしまう理由は、他者が自分に注いでくれている愛情や尊敬の念を失いたくないからです。だから、人が期待するとおりの行動を取ってしまうのです。

自分のイメージは大いにして、人からの尊敬によって成り立っているからです。そして相手が自分にとって大事な人であればあるほど、自分の行動はその人によって左右されるのです。ところが自分に自信を持っていて、自分にも幸せになる権利がある、尊重される権利がある、と思えたら、人の目など気にならなくなります。社会が女性に求めるステレオタイプが女性の境界線を壊してしまっている場合が多く、その仕組みについて考えて行きます。女性護身術にはポジティブなロールモデルが少ない。特に護身術そのものに掛かるポジティブなロールモデルは見つけにくいのです。

ロールモデルは可能な事、出来る事のイメージとなるのでとても重要です。ボクシングをする女性、登山をする女性を見た事がなければ、自分にそれが出来るとどうして想像できるでしょうか?作家で生計を立てた事のある女性がいなければ、交響曲を書いた事のある女性がいなければ、美術館に女性の作品が展示されなければ、どのようにして女性がアーティストになれると想像できるでしょうか?時代は変わり続けますが、未だに女性がなっては不自然だと思われている職種はあります。護身術でも同じ事が言えます、女性がしっかりと境界線を引き自分を守れると実感する模範が必要なのです。

ところが毎日耳にしたり、目撃する事がその真逆ばかりです。本、映画、テレビゲームに現れる強い女性は不死身のサイボーグ的なヒロインである場合が多く、生身の人間とはかけ離れています。テレビや雑誌ではレイプ犯が何をしたかを説明するのでレイプとは何かは解りますが、被害者の心境についてはあまり語られません。友人同士で暴力の話をしても女性生存者の話は希です。逆に被害者が抵抗すると、何故そんな行動を取ったのかと言わんばかりの反応が返ってきます。どのようにして生還者になったのかについて語らない限り、女性が身を守る、守れると言うイメージが出来ないのです。

自分をいたわる前に人の面倒を見るように育てられている

奉仕や犠牲心、か弱さが女性の特徴とされています。聞こえは良いですが、裏を返せば服従を意味する言葉でもあります。女性の社会進出、男女平等論が盛んな昨今にも関わらず、女の子や女性は男の子や男性とは違う風に扱われます。

家庭では女の子は弟や妹の面倒を見るように言われ、男の子は行動的で勇気ある行動を取るように言われます。結果、女性はどんな場合でも、人間同士のバランスをとる役割を課せられています。自分の希望は常に後回しで人の望みばかりに答えようとします。何故か?先に記載したように、社会や経済の求める社会的・文化的な性の有り様の役割に反すれば人の反感を買ったり、生き辛くなるからです。女性誌にはよく、夫や彼氏を格好良くするには、仕事で成功させるには、等の連載がありますが、男性誌に妻や恋人がより楽しく、有意義に生きられるようにサポートしようという連載はありません。

自分の抵抗能力にポジティブなイメージを持っていない

身体的な抵抗能力を試す機会がないので、女性は自分の能力を把握出来ていません。それが、怪我への恐れとなって現れてしまいます。私が護身術を教える度に、身を守るのは無意味だと思い込んでしまっている女性生徒がいます。攻撃者が出現したら死ぬかもしれないと思ってしまったら、あなたはその時点で既に死んだも同然なのです。

また「私は虫も殺せない体質だから」とか「そんな戦うなんてレベルの低い事はしたくない」とか「常に凛として動揺を見せてはいけない」とか「何かを言ったら馬鹿にされる」とか「どうせ誰が60歳のお婆さんの言う事を聞くもんですか」などの考え方も同じです。女性は抵抗に対する能力の過小評価に加え、加害者の力を過大評価をしてしまいます。

試しもせず、加害者を殴っても相手は何も感じないだろう、恥ずかしい、外野が加害者側に付くかもしれないという、全世界が自分の敵になってしまったみたいな状況を想像してしまうのです。これはメディアの発する情報が根源になった反応です。スーパーヒーローやターミネーターなんて存在しないのです。映画だけの話です。現実的には、攻撃者は生身の人間で女性達と同じく弱かったりしますし、歴史的にも何度も女性が自分の境界線を示す事で生還者となっているケースは存在します。

想像力を働かせすぎる

これはネガティブな面においての想像力の事です。最悪を想定するチャンピオンは女性です。公共の交通手段で男性から不愉快な態度を取られて何かを言ったら、私は怒鳴られるのではないか?周りの人から、あの女は威嚇していると思われるのではないか?男性が暴力的になるのでは?周りが助けてくれなかったら?男性がナイフを持っていたら?仲間がいたら?一人対複数になったら?この想像力が簡単で単純な行動を止めてしまうのです。

例えば、混み合っているバスの中で痴漢にあったら「私のお尻から手をどけて下さい」このシンプルな文言が先に記載したネガティブな想像力によって言えないのです。問題は加害者の力ではないのです、女性達がその力をどう想像しているかが問題なのです。現実を見つめて危険に対する情報を十分に収集し自分を守りましょう。

自問自答してしまう

最悪を想像する以外の問題点として女性は、自問自答して自己完結してしまう傾向がある事です。例えば、

普通化する
大した事無い、気のせいだわ、私の考えすぎ
理由付けをする
相手は上司に怒られてストレスなんだわ、相手は妻と別れたのかも、好きなスポーツチームが負けたんだわ
どう思われるか心配
叫んだらお隣さんがどう思うか?こんな事で怒ったら馬鹿みたい。
状況による口実
長年の親友だし、クリスマスに喧嘩をするなんて

忘れないで下さい。理由が何であれ、攻撃は攻撃以外の何者でもありません。以下、余白、です。クリスマスだろうと加害者がストレス状態にあろうと関係ありません。攻撃によってあなたが身体的、感情的苦痛を強いられるから攻撃であり、それが攻撃を止める唯一の理由です。

希望を持ちすぎる

状況如何によっては希望は大変素晴らしい感情でしょう。ただし、雨の後は必ず晴れるという思想は自分の人生に対する責任放棄のような考え方です。我慢をすれば、時が経てば、相手が変わり反省をするだろう、この希望感が認めがたい事実を黙認させる感情です。私なんてまだマシな方だわ、状況は必ず良くなるという考え方が対立心を無くさせ、自己を破滅へと向かわせるのです。

奇跡が起こるのを待っている間、自分の境界線はどんどん踏みにじられ、深い傷を負っていきます。これは生きている状態ではなく、生きながらえている状態です。自分の感じた事に正直に反応して下さい。自分の境界線を実感して下さい。将来の事ではなく、今その瞬間に行動する事が大事なのです。

上記に記載した障害が女性達を無抵抗な被害者に作り上げているのです。無抵抗な被害者は起こってしまった事柄を自分の責任と思い込み主導権を取れなくなります。行動する前から、攻撃を誘発した罪悪感を感じてしまうのです。精神的護身術ではまず無抵抗な被害者の行動を取らない事を学びます。

行動する被害者はその瞬間に起こる事の責任を取り、攻撃される事を望まず、攻撃されたら、何とかしようという意志を持っている人です。次に被害者はどんな行動を取れるか探っていきましょう。

あなたには自分を守る権利がある

まず女性が持つ世界共通の権利を記載します。人が私に求める役割とは別に、私には自分自身が必要としている事を優先する権利がある。エゴイストになれってこと?と多くの女性は言うでしょう。認めがたい考え方かもしれません。私の人生の中で私が一番大事。世間の中ではなく、私の人生の中で私が一番大事。なぜならそれは人の人生ではなく私の人生だから。私にはその価値があるから。私が居なければ私の人生は存在しないから。

さあ、声を出して繰り返して下さい。「私の人生の中で私が一番大事」これをエゴイズムという人もいます。しかし全ての事柄がそうであるように、度合いの問題です。子供は?両親は?パートナーは?とあなたは聞くでしょう。彼らは彼らの人生の中の一番重要な人物であり、あなたの人生の中でも重要な位置を占めるかもしれません。しかし、あなた以上にあなたの人生の中で重要な人たちではありません。そうでないと、あなたの存在はなくなります。あなたが存在しなければ、あなたがそうしたいと思ったときに彼らを喜ばせる事も出来ません。奉仕するには少しのエゴイズムが必要なのです。

例えば、あなたは4歳の男の子の母親であり、上司の部下であり、同僚の同僚であり、夫の妻としての役割を持つ。母親としては子供が熱を出したら側で看病してあげられる事が要求され、社員としては会社が望むときに残業をする事を求められます。そしてよりによって残業をしなければいけない日に子供が熱を出します。こういうケースでは、役割の対立が発生します。どうしたら良いかについては、これですと、言う正しい答えは出せません。

なぜなら、それは個々の境界線や求める事によって違うからです。自分にとっての優先事項を抑え続けてしまうと、いずれ自分が壊れてしまいます。病気になる、感情が爆発する、仕事で重大なミスをする、鬱病になるなどです。

他者への尊敬や尊重を忘れるのも良くありません。いざというとき、誰も手助けをしてくれなくなります。バランスを測って自分の優先順位を尊重する事が大事です。それと護身術と何の関係があるかですか?つまり、自分の身を守るためには、人が何かを必要としているからと言って、自分の優先順位を諦めて人に従ってはいけないということです。

いつでも相手に不快感を表現し境界線を越えさせない権利がある

女性は日常的に不快な状況の中にいるが為に、その不快感の度合いが麻痺しています。そのストレス状態が当たり前になっているのです。それを妻、社員、母親になる代償や喜びだと思い込んでいます。不快を感じたとき、実はそれは対立状態にあるときです。対立状態は最低二人いないと成り立ちません。対立について相手と話し合わなければ逃げ道を探す人生になってしまいます。対立は話し合う以外に解決方法がありません。

言葉にしなければ、相手の考えている事を想像するにとどまり、相手は意地悪だ、性格が悪い、マインドコントロールをしようとしていると思い込みがちになります。それがまた不快感を高めます。この例を想像して下さい。あるカップルが塩だけを使って料理をしています。他の調味料は使いません。どちらも相手が塩以外の調味料を好まないと思い込んでいます。にもかかわらず、実はどちらも胡椒とオレガノを加えたかったのです。

でも、どちらも何も言わない。なぜなら塩だけの調味料を使ったら相手が喜ぶだろうと双方思っているから、自分の好みを我慢してしまう。結果、どちらも相手に譲歩したつもりでいて、相手からの見返りを期待するが、見返りはなく不満が高まり言い争いになる。これは全て双方が自分の希望や必要な事を相手に対してハッキリと言えなかったから生じたコミュニケーション不足の問題です。

境界線とは自分にとって許せる範囲と、そうでない範囲の事を言います。これには個人差があります。育った環境、文化的要素、人生経験、性格、その時の気分など。誰も自分の境界線の位置を示してはくれません。自分にしか分からない事ですし、人にはそれを想像する事は出来ません。人の考えを読む事は出来ませんし、その意図を完全に理解する事も出来ません。問題が発生したら、大事なのは自分の境界線であり、それが踏みにじられた、アラームを鳴らすのは自分の身体です。

同時に、境界線を示したり相手に止めて貰う事を求めるのは、相手に対する尊敬に繋がります。相手に私という存在をより深く知って貰うチャンスを与えているからです。あなたが何も言わなかったら、代わりに言ってくれる人は誰もいません。恋愛関係の中の罠として良くあるのが、愛の力で自動的に相手が自分の求めている事や境界線を理解出来ると思い込む点です。でも、相手を愛しているからと言って本当に相手をよく知っているのでしょうか?愛していても対立しなければならない場合もたくさんあります。人間関係の基本は境界線を示すところから始まります。このプロセスを踏まなかったり、境界線の範囲が狭すぎる、境界線がアバウトすぎていたりすると攻撃へと状況が発展していきます。最初はあなたが境界線を示すと相手は嫌がるかもしれませんし、相手と対立する事になるかもしれませんがそれは相手があなたに抱いていたイメージや信じていた事を考え直さなければいけないからです。嫌な事を口にするのは気分の良い物ではありませんが、人間関係に於ける重要なポイントなのです。

人の問題の責任を背負う事を拒否する権利がある

女性として常に人を気遣うように女性は育てられています。相手はそれを解っているのです。「何?俺のお願いよりも君のその小さな体調不良の方が大事だというのか?」このタイプの関係では常に相手への愛情を自分の要求を犠牲にすることで示さなければいけなくなります。

人類の問題を自分の背中に背負わないようにしましょう。地球の人口は約70億です。何故いちいち、同僚の愚痴を聞いて一日を台無しにしたり、沢山の兄弟の中で母親からの嫌がらせを自分だけが受け止めなければいけないのか?あなたはその適任ではないかもしれないのです。ところが、中には、相手の問題に自分が関われる事を嬉しく思っている人もいます。特別な存在になれたような、自分にしかできないことのようなそんな錯覚「君だけが僕を変えられるんだよ」このような囁きを受けた事がありますか?

多くの女性がこの手の関係に何度も陥っているので良くわかるのです。でも、あなたは二度とその手には載らないで下さい。あなたは臨床心理士でもなければ、看護師でもない、ソーシャルワーカーでもありません。人の意見を完全に無視するべきだというわけではありませんが、誰をいつ手助けするかは自分の意志で決めるようにしましょう。相手の問題を全て自分で背負わないためには、相手との関係を終わらせる時期も自分で決めなければいけません。自分で判断をしなければ復讐へと感情が移り変わります。しかし、それもまた、攻撃者との縁を切らないための方法であり、日夜相手の事を思い続けてしまうジレンマに陥ります。自分の人生の意味を相手に託す必要は全く無いのです。

自分を信じる権利があるし自分自身であり続ける権利がある

このページを読み続けていくうちにあなたは恐らく「私にはそんな事絶対に出来ない」と思うでしょう。何故そう思うのですか?自信を持って下さい!自分を信じる事は自分の人生を生きる事であり、何かしようがしなかろうが同じこと、尊敬されようがされまいが、足を踏まれようが踏まれ無いがどうでも良い、という状況から抜け出すのに良い方法です。

あなたは何度攻撃にあって抵抗しなかった事を後になって後悔しましたか?ああ言えば良かった、こう言えば良かったと思いましたか?どう思われようが良いではありませんか、フェミニスト、エゴイスト、キチガイ、何でも良いじゃないですか。自分の意志で行動していると言う事が大事なのです。自分にはその権利があると思うことが大切なのです。常に自分を守る権利がある事を忘れないで下さい。必ず成功する保証はありませんが、失敗するかもしれないけれど試してみなければ相手の暴力範囲を広げてあげているような物です。そうなるとあなたは全てを無くします、自分の自信までも。

人生に選択肢はある

私達にはいつでも選択肢があります。適切なときにそれに気づき、有意義にその選択肢を使う権利があります。問題ばかりに捕らわれず解決策も沢山見いだして下さい。自分の人生を自分で決めるキャパシティーが自分にはあるのだと自覚して下さい。選択肢とは必ずしも善と悪のどちらかを選択するという意味ではありません。

私は次に記載する選択を、究極の選択No.1、究極の選択No.2と名付けています。例えばこんな選択肢です、精神的に押しつぶされるのを我慢するか、人から悪く見られても行動するか、あるいは、苦しみながらもその相手といるか、別れて孤独になるか。こういう選択肢では勝利しにくいかもしれないけれど、自分の人生の中で起きている事を自分でコントロールする事が出来ます。選択をしなかったら、人が自分の代わりに選択してしまいます。そして、人とは攻撃者の事です。絶対に攻撃者にあなたの代わりにあなたに関わる事の選択をさせないで下さい。暴力を受けている女性にその暴力の責任があると言う事はありません。しかし、その暴力を何とかする責任や状況に反応して影響を与える責任はあります。それには自分のプライオリティを知る必要があるのです。あなたにとって何が一番大事ですか?その答えはあなたにしか出せません。

どうすればいいか?

多くの女性は現実と向き合うのを怖れています。つまり何等かの形で攻撃される事を怖れているのです。そういうことをあえて避けているわけですが、それは理解出来る事ではありますが危険な事だと言えます。なぜなら、危険は現実にあるからです。考えないようにすればするほど、実際に攻撃されても何も行動できない、心の準備が出来ていない状態に陥ります。また、自分にはそんな事起こるはずがないと、現実から目を背けている人ほど実際に攻撃された後の後遺症は深刻な物である事も事実です。

話し合う

私が皆さんにして頂きたいのは、自分に起こりうる事を想像するのではなく、もし攻撃を受けたら自分に何が出来るかを考えて頂きたいのです。恐怖心に捕らわれるより可能性を探る事が自分の人生を生きる事であり、自分にも出来るという気持ちにさせてくれます。一番簡単にこの思考回路を身につける方法は、大勢で話し合う事です。

誰それは叫んで泥棒を追い払った、誰某はこうして恋人と別れた。女性がどれだけ暴力や攻撃から身を守る手段を創造しているかに驚くと思います。非常に参考になりますし、話し出したら女性は止まりません、楽しいですよ。とにかく女性から女性への暴力についての情報を得て下さい。知識を分かち合って下さい。どの世界でも知識こそ力なのですから。

癖を付ける

攻撃をされると実はあまり考える時間というのはない物です。ですから自分に癖を付ける必要があります。例えば、自分の周りで起こっている事に関心を持つ。少なくとも護身術では好奇心は欠点ではありません。人の行動や話し方を見ているだけでその相手が見えてきます。注意深く観察していれば、相手の緊張感の度合いが分かり、危険信号も察知できます。

そしてその時が来たらすぐに行動をする事が出来ます。何となくそれを予期していたわけですから。だからといって西部劇映画のように他人に背を向けるな、と言う意味ではありません。気をつけると言う事です。道を渡るときに車に気をつけるのと同じような感覚です。道路を渡る前に左右を確認する、そういう気持ちの状態です。後は、想定外の状況に対応出来るように、反応を柔軟にする事。全てにハイという前に、自分が本当に望んでいる事を把握する事。物事が自然に改善されるだろうと待っているより、行動する事。上手に行っていない事に集中するのではなく、その事態のあるべき形について考える事。人に助けて貰わずに物事を解決できるようになる事(人命救助の短期レッスンを受ける、簡単な車や自転車の故障を自分で直せるようにする、家の修理は自分でするなど)。用心深さ、集中力、柔軟性、創造性、自立心、選択の権利はあなたの女性らしさを損ないません、心配しないで下さい。

連帯万歳!

社会との連帯感は暴力防止に大変有効です。近所の住民と顔見知りであれば、何かあったときに行動してくれますし、友達や家族に囲まれていたら家庭内暴力のサイクルに嵌るような恋愛関係に陥りにくい。同僚と友好な関係にあれば、ハラスメントを受ける確率は低くなる。こうして味方を多く作る事が暴力防止策の一環となるわけです。

あなたに良くしてくれる人とは、あなたにレッテルを貼らない人、オープンマインドな人で、あなたのノーを受け入れてくれる人、自分を笑いものに出来る人、嫌な事でもハッキリと言葉にしてくれる人。そして、あなたに女性らしさよりも、境界線を引く事を薦めてくれる人。例えば、友達と夜外出をしているとある男性があなたにしつこくつきまとってきました。あなたは「さっさと消えな、邪魔なんだよ」と行って相手を追い払ったとき、本当の友達は自分たちが同じ立場に立たされたときにあなたと同じ行動を取らなかったとしても、その場では、あなたに同調し、あなたの境界線の示した方を肯定してくれる人です。

連帯感を深めるためには、友達が攻撃されそうになった話を聞いたら、そんな時間に何故一人で帰ってきたのよ!とか、何故いつもマッチョな男を選ぶの?とか、あなたは優しすぎるのよ、何々過ぎるというのも禁句です。攻撃をされたのは加害者が攻撃をすると決めたからであって、被害者には責任は全く無いのです。

成功を祝う

自分に対するハードルをあまり高く持たない事。女性は大いにして、人には寛大だが自分に厳しすぎる傾向があります。人の未熟さは許せても自分の未熟さは許せない。自分は完璧でなければならない、そうでないと悪い事が起きても仕方がない。女性はそう思いがちなのです。護身術を上手く覚えるには勝利のステップを一つずつ上がっていかなければなりません。攻撃の真の姿を認める、攻撃による動揺をコントロールする、リスクと解決策を考える、適切なストラテジーを選択する、実行する。どれも簡単ではありませんね。ですから、一つ成功したときそれが自分の中でプラスに働くためには、それを祝って下さい(お金をかける必要はありません)。例えば、好きな音楽をかけて踊る、長い間連絡を取っていなかった友達に連絡をする、自然の中で散歩する、とにかく自分にとって気持ちの良い事をして下さい。パブロフの犬、を覚えていますよね?鞭よりも飴を与えた方が覚えが早いのです。

精神的鍛錬

脳は良く筋肉に例えられます。従って、鍛える必要があります!希望通りに、迷い無く、思い切り、素早く反応するには、私は視覚テクニックを使います。スポーツマンは新しい動きや技を覚えるのに、精神科医はクライアントの感情を変化させるのに精神の視覚化を使い、音楽家も難しいパートを覚えるのに使い、護身術でもそれは有効に使えます。攻撃を受けたときに行動するのは、最もストレス値の高い状態の時に行動するということで、まったく創造性の期待できない状態です。

脳をフォルダーだと想像して下さい。中には経験に基づくファイルがいくつも入っています。攻撃を受けると脳は既存のファイルの中から現状に一番近い物を探します。ところが現状に近いファイルが見つからないと、空回りして硬直してしまいます。ここで練習するのは脳に未体験にも関わらず、脳に新しいファイルを追加する作業です。人工的なメモリーを脳にファイリングするのです。

では、どのようにして、視覚化するのか?誰にも邪魔されない場所に入って下さい。自分の好きな姿勢を取って下さい。視覚化には現実をイメージかすることから始まります。必要ならシチュエーションに見合う雰囲気作りをしても良いでしょう。身体でその雰囲気を感じて下さい。イメージングできたら、本当の視覚化が始まります。例えば、攻撃され護身術を使うシーンで自分の感情をコントロールしてみる。怖がる必要はありません、あなたは安全なところに一人でいるのです。そして視覚化で起こっていることの全てをコントロールしているのはあなた自身です。細かく現実に近い感覚をイメージして下さい。

臭い、音、感触、筋肉に力が入る感覚。常にポジティブに、自分に出来る事だけを視覚化して下さい。少しでも困難な場面をイメージしてしまうと、失敗例を脳にファイリングすることになりますので、そんな無意味なことをする必要はありません。それでも、もし、どうしても悪い事だけに集中してしまうようであれば、イメージを消しゴムで消すように消して下さい。イメージングをそこで中止し、すぐに次の視覚化を再開して下さい、「出来る、私には出来る」というメッセージを自分に言い聞かせ、成功するストラテジーでイメージしてください。最初は様々な思考が頭をよぎるかもしれません、気にしないで下さい。まるで雲が流れるようにその思考を流して下さい。

もしかするとあなたは眠りについてしまうかもしれません。結構です十分にリラックスできている証拠です。各視覚化が終わったら、ゆっくりと現実に戻って下さい。身体が眠っている状態と同じレベルになっているので、鈍くなっていますからあくびをして背伸びをして、手を開いたり閉じたりしてから、起き上がって下さい。

実は皆、気付かないうちに、日々視覚化をしているのです。例えば、鍵の置き場所を思い出そうとするとき、頭の中で自分の行動を映画の巻き戻しのように想像しますね、それは視覚化です。会社の帰り道にスーパーで買い物をします、冷蔵庫の中の残り物を想像して、献立を考え、それに足りない物を想像しますよね、これも視覚化です。実験してみて下さい、目を閉じてあなたの好きな果物にがぶりと噛みついている状況を想像して下さい。果物の臭い、果汁、皮の感覚、甘み、集中していれば、間違いなく口内の唾液が増えているはずです。視覚化が身体に影響している証拠です。

私の力の源

呼吸法によって、視覚化がし易くなりますので、その方法を記載します。立ったまま、足を少し開く、膝を少し落とし、足で地面をしっかり分で下さい。目を閉じて、自分の呼吸に集中して下さい。集中できたら、おなかに集中して下さい。おへその下にあなたの身体のエネルギー源があります。

あなたはそこで透明でさわやかな水を汲むことが出来ますし、元気になるためにその水を飲むことも出来ます、その源に自分の好きな形を与えて下さい。もっと力を大きくするためには、より深く息を吸って源を大きくして下さい。呼吸をする度に源は大きくなります。その状態から視覚化に入ると、よりスムーズにイメージできます。

視覚をゲーム感覚で楽しむことも出来ます。例えばこのような想像をしてみて下さい。あなたはキッチンで原稿を書いています、そこへ不審な人物が侵入してきます。さあ、あなたはどうしますか?窓から庭に出て逃げる、今飲んでいる熱いお茶を加害者の顔にぶっかける、キッチンには武器になる物がたくさんあるのでいずれかを使う、流し横には猫の砂場が置いてあるからそれをぶっかければいい。想像力に限界はありません。視覚化で柔軟性、即効性と自分の可能性を信じる練習が出来ます。

[第5章 感情の護身術]

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